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人生をやり直すことは出来ない

久しぶりにFacebookを覗いたら、中学の友達が妊娠していた。SNSあるあるである。交流が途切れたとしてもこの情報社会、簡単に近況を知ることが出来る。

話は戻って、友達が妊娠していた。これは生きる上でのステータスとなる。もちろん子供を生む人生・生まない人生、それこそ結婚する人生・結婚しない人生があることを前置きしておきたい。


ただ、未だに「結婚している」「子供を生む」は一種のステータスとなっていることは否めない。そして私も平々凡々の人生を送っているため、それらに憧れがある。


その妊娠した友達は、スクールカーストでは底辺のだった。酷い言葉であるが事実そうだった。私は、自分の下にその子がいることに安堵していた。しかし、スクールカーストの底辺にいたその子は今現在私より上のカーストにいる。



そう、ライフカーストという名の元、私は敗者となった。


どこで差がついたのだろう。その子は母親となるのに、私は華のない人生を送っている。高校?大学で?その子は、どこで「転機」を迎えたのだろう。


逆に考えれば、その子が迎えた「転機」を私はどこで逃したのだろう。中学の私は、お洒落から程遠い子だった。綺麗な同級生には憧れを持ち、派手な同級生には嫌悪を抱きどうか関わらないでくれと思っていた。


憧れを持ち、嫌悪を抱くことで終わってしまったことがいけなかったのだろうか。憧れを持ってあの子みたいになりたいと髪型や服装に気を使えば良かったのか。嫌悪を抱く前に対等になれるよう強い心を持てば良かったのか。


正直、中学の頃は文字通り田舎の子だった。寝癖がついたまま学校に行ったし歯磨きの粉を付けたまま学校に行った。今、思えばそういう子こそ周りから嫌悪される対象だった。そう、私は嫌悪される対象だった。


高校では、「テンションが低い」と言われた。元々、口数が多い方ではなかったけどその言葉には傷ついた。


容姿に気を使うこともなかった。頭がでかいと言われていたけど、そう見せないような髪型にもしなかった。ボサボサの髪で学校に行ったこともあった。


何とも思わなかった。周りも何も言わなかったし、自分でも気づかなかった。


「転機」云々ではなく、若さを持つ青春時代に自分のために容姿のためにお金をかけていれば、私は今とは違う華やかな人生を送っていたのだろうか。きちんと勉強していたら、学校も違ったろうし出逢う人も違っただろう。


その子ではなく、私が結婚して妊娠して親になっていたかもしれない。


どこで差がついたのか、後悔ばかりだ。後悔をすることは簡単でやり直すことは出来ない。私の人生はどうなるんだろう。不安ばかりだ。差は埋められるんだろうか。


幸せになりたい。満ち足りた人生を送りたい。